しがないひきこもり日記

ひきこもりを目指して奮闘する24歳

父へ

 

 

お久しぶりです。。

 

 

 

前回の初投稿から一ヶ月近くあいてしまいました

 

ずっと書きたい書きたいと思っていてもなかなか時間を作ることは難しいものですね

 

 

 

「父へ」ということで

少し長いですが、今回は僕と父のことについて書いてみました

 

 

 

 

 

今年の二月の中旬に父は他界しました

享年60歳でした

 

8日の夜、母から電話がかかってきました

 

聞くと父はその日休みで、母が仕事から帰ってきても部屋から出てくる気配がなく不審に思い確認したところベッドに仰向けで寝たまま亡くなっていたとのことでした

姉は看護師ですぐ近くに住んでいたため応急処置をしながら救急車を待ちましたがその時にはすでに息はなかったそうです

その後すぐに警察が来て家族の事情聴取があったそうですが、事件性はなく原因不明の突然死として処理されました

 

 

 

僕は次の日には葬儀のため大阪から鳥取へ帰りました

 

 

 

帰ってすぐ棺桶に入った父に会いに行きました

 

9年ぶり、、?正直にいうと最後に顔を合わせた日のことを覚えていません

そのくらい久々に顔を合わせました。綺麗な顔でした。

 

 

 

 

父は海上保安官でした

 

特殊救難隊だった時もあって最近は船の中でも三番目くらいに偉い人になっていたそうです。

 

誇りの父です。

 

 

 

 

 

でも僕は父が嫌いでした

幼稚園に通ってた頃、園の誕生日会で将来の夢を聞かれた僕は海上保安官と答えていました

そんな園児なんて滅多にいないと思います

 

そのくらい小さい時から「お前は海上保安官になるんだ」「お前と一緒に船に乗りたい」と言い聞かせられていた僕は3才から水泳を始めていました

 

父は単身赴任で家にはいませんでした

帰ってきても一年に一回一週間程度で、今思い返しても思い出がほとんどありません

でも、疲れているはずなのに、釣りやキャッチボールをしてくれたこと、船に乗せてくれたこと、挙げてみればご飯の前に将棋をしたことも鮮明に覚えています

それくらい一個一個の出来事がすごく嬉しかったんだと思います

小学生までの僕はわがままを言っていいならもっと家にいてほしかった

そう思っていました

父が帰ってくる時は車の音が聞こえると玄関まで向かいに行ってたことは今でも覚えています

 

 

 

 

そんな父と疎遠になったのは、中学2年生

僕が高校受験を控え神経質になっていた頃の話です

 

 

 

テストが返された日、たまたま父は家にいました

テストの点は悪く、それを見た父の説教が始まりました

久々に帰ってきて、全てを知ったように、何を偉そうにと、、

不貞腐れた僕はベッドに逃げました

 

その後しばらくして父は僕の部屋に入り、

「お前なんか海上保安官にはなれない、漁師にでもなれ」

と一言。

 

父は酔っていました

 

その言葉にカッとなってしまった僕は号泣しながら父の顔を殴っていました

母に止められ父は寝室に行きましたが、次の日父は何も覚えていませんでした

 

 

その日、僕の中で何かが崩れる感じがしたんです

ずっと目標にしていた人からのその言葉に。

 

 

 

 

それでもなんとか見返したいと思っていた僕はまだ海上保安官を目指していました

しかし、今思い返してみれば他に選択肢がなかったように感じます

 

ずっと海上保安官だけを目指していて、他にどんな職業があるのか知ろうともしなかったんですから、、

 

 

完全に事切れたのは高校2年生になった頃でした

 

海上保安官の募集要項には身長制限があります

高校で伸びるだろうと言われていた身長も全く伸びず、進路変更を余儀なくされた僕は焦りました。

 

もうなんでもよかったんです

 

 

結局、こどもが好きという理由だけで保育系の大学に進学することにしました

父に合わす顔なんてありませんでした。

 

 

 

 

高校を卒業と同時に僕は大阪へ、父は赴任先が鳥取に移動になりました

ちょうど入れ違いで父は実家に戻り、僕が実家に帰ることはなくなりました

 

誕生日にだけLINEをするくらいの関係性でした

 

 

 

 

 

僕が就職する時に扶養を外す手続きで連絡を取ることになり、小さな言い合いになりました

後から聞いた話ではその日も父は酔っていたそうです

 

その小さな言い合いの最後はこうです

 

 

「お前は、自分で何とか出来るようなので、お前には、肩入れしません。」

「今まで、お前の面倒みてきましたが、これからは、関係がなくなります。」

「お前は最低のレベルるです。」

 

 

 

誤字ありきのこのメッセージを見た僕は父をブロックしてしまったんです

唯一の父との繋がりだったLINEを僕から

 

 

 

自分が最低なことは、自分が一番分かっていたから

悔しかったんです、逃げたかったんです

 

 

 

これが父からの最後の言葉でした。

 

 

父にとっては酔っていて記憶にもない言葉でした

 

 

 

後日、母から話を聞いた父はとても反省していたらしく、僕に何度もメッセージを送っていたと聞きました

 

何を送ってきていたのかは今となってはもう知ることはできません

 

 

 

 

 

曲がったことは大嫌いで、真面目で、誠実

男は短髪、鍛えて、男らしくの考えで

アクセサリーをつけている男=チャラついている

そんな人が大嫌いな父でした

 

 

自分の価値観を人に押し付けて、人を見かけで判断する頑固な父が僕は嫌いでした

僕にも譲れない筋はあったからこそちゃんと自分の仕事を成功させて面と向かって言い合いをしたかったです

一緒にお酒も呑みたかった

 

 

 

 

葬式には海上保安官の方々が参列してくれました

「〇〇さんは本当に理想の上司でとてもお世話になりました」、

「仕事の話で熱く語り合いました」、

「〇〇さんと仕事ができて本当に光栄でした」と、、

それを聞いた母はとても悲しげで、しかしながらどこか誇らしげなようにも見えました

 

 

 

人生の半分以上を人命救助、人のために生きた父は、母にとっても僕たちにとっても自慢の夫であり親だったんだと痛感しました

 

 

 

同時に自分の存在自体が親不孝なんだと感じてしまったのです

 

とても胸が苦しかった

僕だって海上保安官になりたかった、お父さんと同じ船に乗りたかった

自慢の息子って言われたかった

 

僕なんかより

面倒を見て、色々教えたであろう職場の方々に囲まれて天国に行った父は幸せだなと思った

 

自分がその場にいることが許せなかった

 

 

終始息苦しかった

 

 

 

 

葬式が終わって遺品整理をしているときに父の財布を母から渡されました

その中からは青色のシワの入った折り紙のお守りが出てきたんです

ぎりぎり読める字で「はやくかえってきてね」と

幼稚園の頃に渡した僕も覚えていないお守りが

 

言葉にはうまく表せれないですがなんていうんでしょう、自分がすごくやるせない気持ちになりました

 

 

ようやく自分の仕事がうまくいってきて、ちゃんと自分の足で立っていけるようになってきたこの時に

 

親はいつまでも元気でいてくれない

 

いなくなる時は突然だなんて分かっていたのに

 

しばらくは親孝行をモチベーションに仕事も頑張ろうとそう思っていたタイミングに

 

もう少し、もう少しは、まだ、時間があると思ってしまっていました

 

 

 

 

父が毎日つけていたダイバーウォッチは僕が持ってなさいと母が渡してくれました

僕はその腕時計つける勇気がありません

 

立派な人間になってちゃんと胸を張って父に会いにいける時が来たら

その時計に腕を通せたらいいなって

 

 

 

自分のためだけに生きようと思っていた僕ですが、

母のためにもう少しだけ人生頑張ってみようと思います

 

 

 

 

お父さんへ

親不孝な息子でごめんなさい

 

 

 

 

 

 

頑張るね

 

 

 

 

 

 

 

初めましてブログ生活始めます。。

 

 

初めまして。。

 

 

 

僕はブログのブの字も分からない初心者です。

先輩方、温かい購読と人生のご教示よろしくお願いします。

 

これからブログを始めていくにあたって、初投稿の内容にとても迷いました。。

なので最初は簡単な自己紹介から始めたいと思います。

 

出身は鳥取県で、高校卒業と同時に大阪の教育系の大学に進学しました。

3回生の時にコロナの影響で授業がオンラインになり、そのタイミングで休学をしました。

休学して二年後大学は辞めました。

大学を辞めるまでにバーテン、飲食のバイト、ホスト、メンズコンカフェのキャスト、男性相手の風俗、ショーパブのドリンカー、シーシャバーの店長と職を転々とし現在は個人事業主としてバーのオーナーになることができました。現在24歳の男です。超絶のインドアです。

 

18歳の時から接客業、特に人との関わりがダイレクトな仕事をしてきて本当に老若男女、様々な仕事の人と話す事で自分の価値観がだいぶ変わったように感じます。

自己満足のこのブログに誰かが共感してくれたり、誰かの心に何かが響いてくれたりしたらいいなあって思ったり思わなかったり、、?

 

 

僕がブログを始めようと思ったきっかけは、簡潔に言うと収益化のためです。

 

 

人生に疲れて、というよりは頑張りたくない。というと怠惰な人間に思われるかも知れませんが、これまでの人生を生きてきて他人に対して期待とか見返りとか求めることを諦めました。人に迷惑をかけないから誰も自分に迷惑かけないで欲しいって思うようになりました。。決して病んではいません、、笑

 

 

僕が目指している将来像は家から一歩も出ずに自分1人が生活できる収入を不労所得で稼いでひきこもりになることです。

その中の一つとしてブログによるアフィリエイトを勉強しています。

ですが、このブログではアフィリエイトは考えてはなくブログに慣れるためと、あわよくば僕のブログを楽しみにしてくれる人が増えてくれればいいなあってくらいです。

 

 

このブログは、人に対してひきこもった24歳が本当のひきこもりを目指して奮闘する日記だと思ってください。

 

 

こんな僕に少しでも興味を持ってくれたらちょっと嬉しいです

今後はこれまでの仕事のこととか、僕の人生観とか日々の日記、思ったことなどを綴っていこうと思います。

 

 

更新頻度、質は気にせず書きたい時に書いて行きたいです。

 

 

よろしくお願いします🙇‍♂️